ダンジョンマスター



 1987年に発売されたRPG。スーファミ版なら、今でも中古ショップで簡単に手に入れられるはず。
 このゲームの売りはリアルさであるといわれている。それは確かにそのとおりだが、リアルだからよいわけではない。このゲームの1フロアはせいぜい30×30マスで、端から端まで3分とかからずついてしまう。こんな狭いところにあれだけのモンスターが住めるわけがない。この部分をリアルにして端から端まで3時間かかるようにしてみたらどうか。このゲームはゲームとして成り立たなくなってしまうだろう。
 リアルさとは、ゲームシステムに説得力を与えるための道具に過ぎない。現実の中から、ゲームに活かせる部分だけを過不足なく切り抜いてきた、それがこのゲームである。
 その切り抜いてきた部分を一言で表現するならば、それはいうまでもなく”時間”である。
 モンスターは3Dダンジョンの中をプレイヤーと同じようにうろついており、プレイヤーがコマンドを入力するのを待っていてくれたりはしない。呪文のコマンドを入力している間も敵は容赦なく襲いかかってくるのだ。
 時間との関連において、食料と水の存在も重要である。食料が切れそうになれば、とにかく無理してでも戦闘をして、食料を得なければならない。水が切れそうになれば、すぐ先に水があることを期待して前進するか、ずっとあと戻りして水を汲んでくるのかを決断しなければならない。
 同様に、マッピングもまた緊張感を与えてくれる。意図的なものかどうかはわからないが、(少なくともスーファミ版は)ポーズをかけるとダンジョンが見えなくなる。つまり、マッピングも時間の経過の中で行わねばならない。水のないとき、モンスターの蠢く音が聞こえてきたときのマッピングの緊張感は他のゲームでは味わえないものがある。
 アイディアの素晴らしいゲームはある。しかし、その多くはアイディア倒れであったり、注目すべきところもあるんだけど・・・、というできに終わっている。その中で、ダンジョンマスターというゲームは、ゲームを構成する各要素がうまく絡み合い、秀逸なアイディアがほんとうにおもしろいゲームへと昇華した稀有な例である。


 最初に書いたように、スーファミ版なら簡単に手に入ると思います。少しでも興味のある方は是非プレイしていただきたい。スーファミの処理能力をいささか超えてしまっている感はありますが、それは大目にみましょう。フルマウスのインターフェイスを上手にスーファミコントローラーに落とし込んでいて、ちょっと慣れればストレスなくプレイできると思います。
 英語でもいいという方はこちらにどうぞ。ダンジョンマスターと続編のカオスの逆襲を、PC上で動くフリーソフトにしてしまってるサイトです。



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